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一年中雷が降る国で生活するのに必要なものってなーんだ?

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インドで2日間で落雷による死者が67人にも上っているというニュースを見ました。
6~10月のインドはモンスーン(季節風)の影響で天気が大荒れになってしまうそうで、
落雷による死者も多く発生してしまうのだとか。


恐ろしいことです。
歩いていたら突如として雷に打たれる。
撃たれる…?たぶん「撃たれる」の方がいいのかな?漢字難しい。
高い木下にいると危ないということも聞きますが、本当に高い気には雷が落ちやすいそうで、
そういった場所にいる人が雷に撃たれてしまうとか。
何もなくても撃たれてしまうことはありますけどね。
あと貴金属を身につけていたりとか。

 

ちなみに人間が雷に撃たれる確率は、とあるデータによると大体1/1000千万ほどだとか。
これはある年度の宝くじ1等が当たる確率と同じらしいです。
いやいや、想像を絶するほど低い確率ですよね。
しかし日本でも確実に雷に撃たれる方は毎年のようにいらっしゃいます。
それと同じくらい宝くじの1等も当選者がいるというわけですか。
…自分にもチャンスがあるんじゃないかと思ってしまいますね。
ないんですよこれが。残念です。


インドでは宝くじ1等当たる人が2日間で67人いるくらいの確率の出来事が起きているということですよね。
まぁインドは日本の10倍くらい人口がいますので、単純にこの確率は当てはまりませんが。
しかしそれだけの被害者数…もはや雷の国ですね。


もし自分がインドより厳しい、一年中雷の国に住むことになったらどうしましょう。
ちょっと考えてみました。

 

 

 

 


ゴロゴロ…


朝の雲間に光が走る

ビシャァァァァッ!!!


落ちた。雷が地に降り注いだ。
とんでもない目覚ましだ。
アラームより2時間も早くなりやがって。
私は朝5時に起きてしまった。
2度寝したら間違いなく会社に遅刻する。
そのまま朝ご飯を食べて、少し早めに出社することにした。


外は大雨。傘がなければびしょ濡れだが、
傘をさすのは危険な行為である。


家から出た数十メートル先に人だかりができていた。
人だかりの隙間から、男性が倒れているのが見えた。
傍らには黒焦げになったビニール傘の残骸がある。


この人は今朝の雷に撃たれたのだろう。
ここは365日のうち毎年324日は雷雨の国。
普通のビニール傘で過ごしていたのでは間違いなく雷に撃たれてしまう。
倒れている彼は異国から来た人だということは容易に想像がつく。


この国に住む者ならば、基本的に外出する際はゴム製のレインコートを着る。
これがあれば傘のように雷を呼んでしまうこともなく、
仮に雷が落ちたとしても全身に雷が通ることはない。
まぁ確かに、1度雷が落ちてしまえばぼろっぼろになってしまうので、買い替えなければならないが。


または車。車に乗っていれば雷が車に落ちたとしても中にいる人には全く影響はない。
車最強!この国は車信者の国でもある!


しかし私は車が運転できないので、ゴム製のレインコートを着て出勤する。
このレインコートの難点はダサいことだ。
市販のものだとピンクと黄色しかない。
私はあえてピンクを選ぶ。昔から男は黄色、女はピンクと無意識の認識が働いてしまうが、私はそれにあえて反している。
最初はダサいくて恥ずかしい。

 

でもそんな感情はすぐになくなる。大体みんなこのレインコートを着て通学通勤しているわけだから、もうトレンドみたいなもの。本当は恥ずかしいのだけれど、みんなが同じなら気が付かない。
例えば、バブル時代はものっすごい肩パッド入れている人がたくさんいが、
今そのファッションで街を出歩けるかと言ったらダサくて無理だろう。でも当時大丈夫だったのはそれがトレンドだったからだ。
人は自分以外の人も同じことをしていれば大抵のことは平気なのである。
このダサいレインコートもファッションだ。

 

 


電車の中はレインコート来た人であふれているのでもうびしょびしょ。
むしろレインコートを着ないで電車に乗る=水責めみたいな状況だ。
問題点が多いが、きっとこういうのも青年実業家とかが現れて解決してくれるだろう。
私は思いつかないから誰かに任せよう。

 

 

 


会社まであと3分といった距離まで来た時のことだった。
またしても空が激しく鳴り、雷が私の目の前を歩く女性に直撃した。
案の定、その人はレインコートではなく傘を差していた。


救急車を呼ばなければならないが、私がやらなくてもいいじゃないか。
誰かがやってくれる。電車の問題を解決してくれる青年実業家のように、誰かが救急車を呼んでくれる。
私はそう思い、その場を立ち去ろうとした。
しかし、誰も女性に手を貸さず、救急車を呼ぼうともしない…
今朝みたいな人だかりすらできない。


会社近くの人たちにとって、雷で撃たれて倒れる人の存在など、当たり前になってしまっているのだろうか?
いや違う。みんな私と同じことを思っているのだ…誰かが救急車を呼んでくれるだろうという…そうすなわち


当事者意識の欠如!!!

 

グループ活動をしている時に見られる現象!
「自分以外にも人はいるのだから、誰かがやってくれる」
そういう感情を抱いてしまうのは人として自然なことでもあるが、
そのグループ全員が同じ感情を抱いてしまうと活動は進まない!


20:80の法則なども同じ。
誰かがやってくれるだろうという当事者意識の欠如が2割の労働者と8割のフリーライダーを生む。
しかしこれはあくまでも理屈に過ぎない。今この場では救急車を呼んで女性を助けようとする2割の人間すらいないのだ。


…私は会社ではまじめに働いているとは言えない人間だ。
8割のフリーライダーだ。
会社だから私一人がまじめに働かなかった程度でどうということはない。
しかし、もしこのまま私がこの女性を無視してしまえば、この女性は死んでしまうかもしれない。
もう死んでいるかもしれないが、まだ生きている可能性も0ではない。

 

このままフリーライダーとして生き続けるのか。
ちょっとかっこいい響きだけど、これは「ただのっかってるだけの意思なし人間」という意味合いだ。
それではダメだろう。私の人間性までフリーライダーではダメだろう。


私はケータイを握りしめ、119を押し、救急車を呼んだ。
十数分後、到着した救急車に女性は乗せられていった。
彼女が助かるかどうかは分からないが、私はするべきことをした。
…そういえば会社に連絡するのを忘れていた。完全に遅刻している。


「おはようございます。すみません、先程、雷に撃たれた方の救助をしておりまして…
はい…いえ、嘘ではありません。はい…会社からは近いので、あと5分とかからず到着できるかと…はい…すみません無断で遅れて…はい…はい…失礼致します。」


上司に報告完了。
遅刻した時間は、会社にとっては生産時間のロスになる。
これでまた私はフリーライダーとして磨きがかかってしまった。


会社においては。


でも人として、私は人としてフリーライダーにはならなかったことだけは、
今度友達に自慢しようかなと思う。

 

 


一年中雷が降る国で生活するのに必要となるものは当事者意識だと思いました。
雷に撃たれることが日常茶飯事になってしまうと、人が倒れていても誰も助けない国になってしまうかもしれません。


でもこれは私たちが生きる日常でも言えることで、何か事故が起きたときにとっさに救急車を呼べる人って少ないと思います。
やはり当事者の一人になりますからね。
勇気がいる行為だと思いますが、悪いことをしているわけではありませんから、
積極的に行動したいとことですね。

 

一番いいのは雷の国から引っ越してしまうこと…でしょうね。
1年中雷が降る国って住みたい人いないでしょう。
無人の電力発電所を乱立させればエネルギー不足も解消されそうですね。
そういう技術が出来ればいいですね。

 

 

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