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戦国最強の部下「本多忠勝」は超有能!【楽しく歴史を学ぼう】

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徳川家康と聞けば、小学生でも知っていますよね。戦乱の日本をまとめ天下統一を果たした人物です。徳川家康には多くの功績があります。もちろん家康自身も優秀で狡猾な人物だったとは思いますが、彼を支えた家臣にも非常に優秀な人間がいるおりました。

 

本多忠勝(ほんだただかつ)という方をご存知でしょうか?おそらく徳川家康にとって最も大切な部下の1人だった人です。彼の有能さは、織田信長も賞賛し、豊臣秀吉も部下に招き入れたがったほどでした。
今回は、そんな本多忠勝さんを紹介したいと思います。この記事を読めば、戦国最強の戦士にして超有能な部下だった本多忠勝さんに憧れることでしょう!

 

 

本多忠勝ってどんな人?

 

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こんな人です。鹿の角を使った黒い兜が特徴的ですね。
戦国時代に名を馳せた徳川家の武将の1人です。1548年に生まれたとされています。幼い頃に父・忠高がなくなり、叔父の忠真のもとで育ちます。13歳から徳川家に使え、14歳で忠真の軍に所属し戦争に参加します。忠真は甥をちょっと甘やかしていたのか、敵兵の首を討ち取り、忠勝に

「この首を持ってお前の功績にしなさい」

と言いますが、忠勝は14歳。反抗期真っただ中の中二病。

「何で人の手柄を自分の手柄にせなあかんねん!」

と言い放ち、自ら別の敵兵の首を取ったそうです。この時忠真は

「こいつば只者じゃねぇ、化け物だ!」

とビビってしまったとか。若くしてその狂気とも言える性格、そして戦闘力を発揮していました。


その後も忠勝はどんどん名を上げていきます。忠勝がその名を大きく知らしめたのは1570年姉川の戦いにて。敵対する朝倉軍のめっちゃ強い人・真柄十郎左衛門という人との一騎打ちにおいて、忠勝は勝利します。この勝利は本当に大金星でした。忠勝当時22歳。大学卒業したばかりの若造が起業して業界最大手にまで会社を成長させたみたいなものです。
この功績は多くの人々に広まりました。1584年小牧長久手の戦いにおいて、忠勝は豊臣秀吉軍8万人の前にわずか500名のみの兵で立ちはだかります。徳川軍が苦戦していたのを知っていたため、囮になろうとしたのです。そんな忠勝を見た秀吉は泣きながら

「姉川の戦いで大きな功績を立てている忠勝が500人の兵で立ちはだかるってのは、間違いなく徳川軍の囮になるためだ。あんなに強いのに囮になるという忠誠心、あいつマジ有能過ぎるだろ!だから忠勝は討ち取らないで仲間にしよう!」

と言ったとされています。姉川の戦いでの功績は豊臣秀吉に認められるきっかけにもなったのです。

 

徳川家康も忠勝については本当にお気に入りだったようで、

「お前はめっちゃ優秀な部下ですわ〜」

と常々言っていたとされています。
忠勝ほどの評価を受けたら部下としてとても幸せですね。

 

 

 

 

本多忠勝はめちゃくちゃ強かった


忠勝の武勇伝は戦国最強と言っても過言ではないほどです。
例えば忠勝は生涯全て合わせて57回の戦争に参加しましたが、すべて無傷で生還しているそうです。だからと言って逃げ回っていたのではなく、むしろ敵兵を殺しまくっていたのだとか。戦闘に関して忠勝の右に出るものはまずいなかったと思われます。


後述しますが、忠勝が関ヶ原の戦いで上げた功績について福島正則に

「お前スゲェよな」

と褒められますが、忠勝は、

「いや俺がすごいんじゃなくて、敵が弱すぎただけだから」

と言い放ったとされています。圧倒的余裕!まさに戦国最強!
それでも忠勝は常に大きな数珠を首から下げて戦争に臨んでいたそうで、これは殺害した敵兵を弔うためのものだったと言われています。流石の忠勝もお化け的なものは怖かったのかも。お化けは倒せませんからね。


ちなみに、忠勝は小刀で自分の持ち物に名前を彫っていた時に、誤って手を傷つけてしまい、

「無傷を誇ったこの本田忠勝も、傷を負ったらもう終いだよな…」

とつぶやいたところ、その数日後本当に亡くなってしまったという逸話もあります。本当に無傷で生きてきたようです。蚊に刺されたりとかしたのはノーカウントだったのでしょうか?

 


忠勝は「蜻蛉切」という長槍を使っていました。その長さなんと6m!当時使われていた槍の平均的な長さが4.5mほどとされていましたので、非常に長い槍を振り回していたのです。6mもの棒を振り回すのも相当なパワーがないと不可能です。さらにその状態で敵兵を殺しまくるんですから、もう、ただのモンスターですよ。パワー系モンスター。
晩年は体力的に蜻蛉切を振り回すのがしんどくなり、90cmほど短くしたそうです。そんな物干し竿的なこともできるんですね。

 

 

 

頭も切れる本多忠勝


1600年の関ヶ原の戦いでは、井伊直政とともに諸大名を味方につけるという裏工作まで実行していた忠勝さん。実は頭を使った行動も取れるのです。これも家康から気に入られていた要因でしょう。
もちろんバトルも忘れない。忠勝は関ヶ原の戦いにおいても90人もの敵兵の首を取ったそうです。あと少しで百人斬りでした。文武両道…悪い意味での文武両道ですわ…

 

 

 

 

実は忠誠心こそが忠勝の優秀さ


忠勝は徳川家康に対する忠誠心がとても強い人のように感じます。徳川家康は最終的に天下を取るものの、戦争に負けて逃げ帰るなどその過程で結構ピンチに陥っています。戦国時代は君主への裏切りなんてざらにありましたが、忠勝は最初から最後まで家康に使え続けました。

武力に知力、当時の戦国大名としてはこの2つを兼ね備えた部下を重宝したと思いますが、逆に優秀であればあるほどいつ裏切るかもわからない不安もあったと思います。忠勝の周りからの評価を見ても、いつ他の大名のもとに移ってもおかしくないように感じます。しかし家康に忠義を尽くしたのです。これほどまでに忠実な人はなかなかいないでしょう。今あなたご自身にとって忠実を尽くせる人はいますか?

 

 

 


私も仕事場では部下という立場に置かれています。というより社長にならなければ、基本的に社員は誰かの部下ですよね。部下である以上は本多忠勝のような評価を受けられるようになりたいなと思います。それには知力、そして武力…はダメですね、持っていたら刑務所送りですから。仕事における能力と置き換えましょうか。そして忠誠心が必要です。…うーん、どれも私には足りないなぁ…特に忠誠心。忠誠を誓える人ってなかなか出会うのが難しいですよね。忠誠を誓える人に出会えた忠勝は、戦国最強の幸せ者だったかもしれませんね。

 

 

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