私の名前はジロギン。
今日道を歩いていた時の話。
私の前方50mくらいの距離にカップルが歩いていた。
これだけでは何てことのない、特徴のない光景ではある。しかしそのカップルに私は違和感を感じた。
理由は明確。
彼氏がハンドルのついていないセグウェイに乗っていたからだ。セグウェイに乗って彼女と併走していたのだ。彼女は乗っていない。
これはどうなのだろう?
ありなのか?彼女的には彼氏がセグウェイに乗りながらデートしているってのはありなのだろうか?まぁ彼氏が乗ってたってことは、彼女は了承したということだろう。
でも歩くスピードに差が出るだろうし、彼女も歩くのが大変そうだ。彼女のことを考えれば、セグウェイに乗るのはやめた方が良さそうなものだが。
確かにデートで歩くのは疲れるだろうが、セグウェイを使うのは、ルール違反をしている気がしないでもない。マラソン大会に自転車で出場してしまうような、そんな感じがする。
セグウェイに乗ることで、彼氏の背も高くなる。背の高い男性が好きという女性は多いから、ひとつのアドバンテージにはなるだろうしかし、セグウェイで背を高く見せるってのはちょっと違うよなと思う。シークレットブーツより潔くはあるが、セグウェイの効能として「背を高く見せられる」というものはない。
いや…もしかしたら、私の考え方が古臭いのかもしれない。まだセグウェイが一般的ではないから、違和感を感じてしまったが、世の中的に見るとそれほど珍しい光景ではないのかもしれない。
例えるなら、スマホが一般的になるかならないかくらいの時に、ガラケーを使っている人とスマホを使っている人の両方が存在していた時代のような、そんな感じなのかもしれない。デジタルとアナログの両立みたいな。
やはりよく考えれば考えれるほど私の了見が狭かったのかもしれないと思えてくる。セグウェイに乗ってデートするのもアリかもしれない。
自分の当たり前を押し付けるのは良くない。
もしも自分の下半身が馬になってしまったとして、「デートの時に彼氏の下半身が馬なのはどうなの?歩くスピード違うし、彼女のことを考えてないよね。」何て言われても困る。私にとっての当然なのだから、すぐに変えられない。そう言われているのと同じことだ。
むしろセグウェイに乗っていない彼女の方がどうなのかと考えたほうが良いのかもしれない。時代は刻一刻と進んでいて、セグウェイに乗って移動するのが当然になるかもしれない。時代を先取りしてデートの時もセグウェイに乗る、そういう革新的で先駆者のような彼氏がいながら、なぜ歩くことに固執しているのか?影響を受けないのか?と考えたほうが良いのかもしれない。
ありだ。デート中にセグウェイに乗るのはありだ。むしろ私が遅れているのだ。時代においていかれてしまう。もっと新しい発想をしていなければ、あっという間にお荷物扱いだ。年をとると尚更柔軟な考え方が出来なくなってくる。いけないいけない、自分を見直す良い機会になった。
こちらの記事もどうぞ!!!