私の名前はジロギン。

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批判するなら代案を出すべき?【お悩み相談】

私の名前はジロギン。


以前お悩み相談ということで、会社の後輩から相談された内容と、それを解決するための方法について書いた。

 

 


今回もこんな感じのお悩み相談というか、相談されて考えさせられた話。

 

 


それは大学のサークルの1学年下の後輩からの相談だった。後輩たちは既に大学を卒業し、各自の進路を進んでいた。
久しぶりに会って、どこか旅行にでも行こうということになり、LINEでいろんな案を出し合っていたそうだ。


大体12〜13人くらいで案を出し合って、ある程度旅行の概要が決まりそうになってきて、一部の女子から批判の声が上がり始めたとのこと。


「〇〇は嫌だ」
「××は面倒臭い」


などなど…
この旅行を計画していた後輩は男なのだが、結局批判や文句だけが募り、旅行は頓挫してしまったそうだ。
私が受けた後輩からの相談としては、


「批判するだけして何も代案を出さないのは良くないことではないか?」


ということだった。

 

 

皆さんはどう思うだろうか?結論から言うと私は


「批判をするなら代案を出せ」という考え方に大いに賛成


なのである。


批判というのは全然難しいことなどではない。欠点のない物事なんてこの世にはない、だから幼稚園児だって簡単に欠点を見つけて批判することはできてしまう。


さも「私はそういう物事の欠点に気がつける、洞察力の高い人間!どやぁ」みたいな感じを醸し出されても、それだけでは足りない。
欠点を見つけた、「で?どうするの?」が求められる世の中だと私は考えている。
そこからは「想像力」「創造力」が求められる。この欠点を放ったらかしにしたらどうなるかという「想像力」と、ではそうならないためにどういう行動をしたり、どういう対策が必要なのかをひねり出す「創造力」。この2つが必要だと考えている。

 

 

欠点はどんな人間から見ても明らかだ。しかしその欠点をどう対応するか、ここからは十人十色様々な方法が考えられうる。その方法がいかに良い結果をもたらすか、そういう力が求められる。特に話し合いという場においては。ただ批判だけする人間は、話し合いを遅延させ、空気を悪くするだけの「邪魔者」になってしまうと私は思うのだ。

 

 

 

むしろ欠点を見つけるより、代案を出せる人間になった方がかっこいいと思う。例えば会社の会議で


ジロギン
「…ということで、今回のプロジェクトを進めていこうと思います。」


同僚
「待て待て待て待て待ってくれよぉ。このプロジェクトには決定的な穴があるぜぇ。この日程でこなすには内容が濃すぎるとおもうがねぇ(ククク…これでジロギンのプロジェクトがダメだとみんなが理解すれば、ジロギンのプランは検討からも外れ、出世もなくなるぜ…)」


ジロギン
「ではプロジェクトの開始を前倒しし、期間を伸ばしましょう。現状のタスクを少しずつ急ぎで終えれば、可能です。」

 

同僚
「た、確かにそうだが、それは社員に残業を強いるってことか?へっ!ブラック企業が問題になってるってのによぉ?大丈夫かぁ?(ちっ!食い下がりやがって、何としてでもお前を地に落としてやるぜ!)」


ジロギン
「残業などしなくても、タバコを吸いに行く回数を減らしたり、お昼の時間を少し早く切り上げるだけで、毎日30分、週5日で、2時間半、プロジェクト参加者全員が削れば、10人で20時間以上も時間が捻出できますよね?最も、そんなに時間を見直さなければならないのは、同僚さん、あなたぐらいなものですが…」

 

同僚
「(クソ!い、いくら言ってもこいつは、コンニャクを殴ってるみたいに手応えなく、代案を返してきやがる…)わ、わかりました…以上です。」

 


どうだろう?批判するだけの人間と代案を出せる人間、どっちがかっこいいだろうか?まぁ、明らかに後者が、そうつまり私がカッコ良くなる様に書いたのが。

 

 

 

 

 

たかが友人同士の旅行の相談ではあるが、こういうちょっとしたことの中にもその人の人間性や能力が出ると思う。私の後輩たちはまだ社会人になって数ヶ月だから、まだまだそういうことに気がついていないのも仕方がない。いつか気がついて、「欠点を見つけて、それを補う提案」が出来る人になってもらいたいなと思った。

 

 

 

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