案ずるより産むが易し
です!
要するに
気にするな!何とかなる!
みたいな意味の言葉です。
私は生まれてからずーっと心配性で、心配性過ぎて親が心配するほどでした。
ある種の脅迫観念みたいなものに追われているように、いつも不安げな表情をしていました。
今でも若干そうなんですけどね。
遅刻しないように、必ず集合時間の10分前には待ち合わせ場所に到着するようにしますし、
もしかしたら朝起きたら立ち上がれなくなっているかもしれないから、念のため家を出る1時間半前には起きるようにしています。
正直時間に対する心配性は、私は良いことだと思ってます。時間に遅れたら取り戻せませんから。この点については自分の心配性に感謝しています。
しかしその他の点、例えば人からどう見られているんだろうとか、こんなことをしたらいけないんじゃないかとか、そういう心配はやはり私の人生の大きな妨げになってきました。
多分大学入るまでそんな感じでしたね。
けど大学に入って、いまだによく飲む友人たちと出会って私はかなり変わりました。
心配性が治っていったのです。
その友人たちの多くが、先ほどの「案ずるより産むが易し」を擬人化したようなヤツらばかり!
そんなヤツらと4年間過ごしているうちに私もまた「案ずるより産むが易し」な部分が芽生え始めました。
いや本当に案ずるより産むが易しなヤツばかりなんですよ!私もだいぶ案ずるより産むが易しになってきたとはいえども、友人たちの案ずるより産むが易し比較すると全然及びません。
優秀な友人たちかというと、決してそうではないですが、「気にするな!何とかなる!」みたいな姿勢は、私に大きく影響しました!
大学入った時は私かなり成績良かったんですよ!しかしそんな友人たちとツルむうちにだんだんと成績が下がっていって、それでも何とかなる!と謎の自信だけはあって…ってダメじゃねーかそれじゃあ!!!!
確かに成績は下がり私は真面目さを大幅に失いましたが、だいぶ生きるのが楽になりました!
そういう意味では、真面目さを払った分の大きな利益は得られたのかなと思います。
つくづく私は救われてるなと思います。
今日は大学の友人たちとは別の知人に、とある出来事で相談…というほどではありませんが、ちょっと悩んでいるという話を受けました。
でも私はすっかり案ずるより産むが易し。
「気にしないでいいよそんなの!何とかなるって!」
を多分8回くらい言いました。
大学の友人たちには及ばない案ずるより産むが易しな私ですが、そんな私の一面をあまり見たことのない彼にとっては、ビックリだったと思います。
ある程度悩みも晴れたようで、最後は笑顔も見えました。案ずるより産むが易しの仕事を果たした気分です。
案ずるより産むが易し
は、正直なことを言うと問題を解決しようともしていない責任逃れな言葉です。
いい意味として使われますが、よく考えると現実逃避しているようですね。
私が思うに、案ずるより産むが易しがいい言葉だなと思うのは、その意味ではなく、案ずるより産むが易しという言葉のように生きている人にどこか勇気付けられるからではないかなと思います。
こいつにとってはこんな問題はちっぽけなものなんだ!ならばそんなに気にすることないんじゃあないか?
そう思うことで救われるのかなと思います!
私なりの案ずるより産むが易しで1人でも多くの人が悩みを気にしなくなるのならば、私は案ずるより産むが易しとしてこれから生きていきます。
どうも、案ずるより産むがジロギンです。
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