「どこの会社でも裏でやることはやっている。仕方のないこと。」
以前母にこのようなことを言われたことがあります。
まだ私が社会に出る前でしたね。2~3年ほど前でしょうか。
一時期車エビの偽装などで内部告発事件が話題になりました。
そんな事件が多発していた時に「なぜこのようなことをするのか?」と母に尋ねた際に言われたことです。
ビジネスの基本は
「安く仕入れ高く売る」
という考えのもとに成り立っていますよね。
その為に試行錯誤してきた結果、ビジネスは発展してきたと聞きます。
例えばまだ飛行機なんてない、海外へ行くには船での移動が当たり前だった時代。
インドでは簡単に手に入れられた香辛料を、当時は入手が困難だったヨーロッパに輸入することで高い金額で売れたそうです。
このようにある土地では簡単に手に入るものを簡単に手に入らない土地でで売るというのも
「安く仕入れ高く売る」の考え方に基づいています。
100円のコーラを1000円で売るにはどうしたらいいか?みたいな理論もこれに基づいていますよね。
その他にも「独自性のあるものを高く売る」とかが考え方としてあります。
どのような方法にせよそれなりに工夫したり思慮したりしなければなりません。
しかし簡単にこの「安く仕入れ高く売る」ができてしまう方法が
偽装すなわちズル
ですね。
売り手が「これはインドで取ってきた香辛料だよ」と言ってそこらへんに生えている花の花粉を売りつけても、輸入した行程を見ていない買い手には確かめようがないですし、
さらに売り手が「うちは町一番の大きなお店」というようなネームバリューがあれば、
「それだけ大きなお店が言っているのだから、これはインドの香辛料なのだろう」と信じてしまいます。
たぶん当時もこのようなズルが横行したでしょうし、現代社会でも行われています。何年たっても根底にあるものは変わりませんね。
そして今こうして私自信が社会人になって思います。
真っ当に経営している会社ってこの世に何社くらいあるのかなと。
私は妙な正義感が強く、ズルするくらいなら負けていいみたいな考え方があります。
ズルをして勝っても自分の力ではありません。
やはり勝負をするなら自分の力で相手を叩けなければ意味がないと思っています。
裏を返せば、私は勝てない勝負からは逃げる人間でもあると思います。
真っ向勝負で勝てなければ最初から戦わない。そういう人間です。
ズルをするのも卑怯ですが、勝負から逃げるのも卑怯ですね(笑)。
ただ疑問に思うのは、
「なぜズルをしなければ勝てない勝負にわざわざ臨むのか」
ということです。
勝算にズルすることを含めるのはダメだと思うのです。
ルールの範囲内で抜け目なく行動するのはありだと思います。
でもルールを破ってまで乗り出すのは違うと思います。
それって、例えばバスケの試合で強いチームと戦うときに
「隠し持ったナイフで全員切りつけて負傷させれば勝てる」
みたいに考えるのと同じではないかと思うのです。これはやってはいけないことですよね。
そうまでしなければならないのならば、潔く負けを認めて、自分たちが勝てる市場で勝負する方が良いのではないかと思います。
いつかズルしたことは公になりますから、長い目で見ても正面から勝負できる市場で
勝ち続けた方が良いと私は思います。
恐らく会社がズルしてしまがちなことって、
本業以外に新規参入した分野でしてしまうことが多いのではないでしょうか。
本業が上手くいき、そのノウハウを使えばできると思っていた分野に参入したものの、
結果が出なかった。すぐに収益化できると考えていたのになかなか利益があがらない。
そこで何とかして利益を出すためにズルをしてしまう。
こういうパターンが多いのではないかと思います。
本業の分野と新規参入した分野は似ていたとしても全く異なります。
そこで撤退せずにずるずるずるずるとズルを重ねてしまうと結局撤退したほうが安くつく結果になると思うのです。
撤退する勇気というのも大切だし勇気ある決断だと思います。
私は現在自分自身社を経営しているわけではないので、これまでの考え方はやっぱり甘えた考え方なんだろうなと思いますが、
自分の勝てる土俵で勝負し続けるという方がいい気がします。
具体的な例を出すなら、
元横綱・曙さんは相撲界では最高位である横綱に輝いた、まさしく一時代を築いたお相撲さんです。
曙さんは引退後、K-1ファイターとして土俵ではなくリングに上がることとなりました。
しかし初の実戦で対戦相手のボブ・サップ選手になすすべなく倒されました。
横綱のまま終わっていれば曙さんは最強だったのに、何があったかはわかりませんがK-1という別の分野に手を出してしまった事で
「弱い」というレッテルを張られてしまいました。とてももったいないことです。
同じ格闘技ではありますが、相撲とK-1は全く別物です。
相撲で1位でもK-1で勝てるわけではない、
またK-1で1位でも相撲で勝てるわけでもない。
やはり勝算のない勝負はするべきではないと私は曙さんの例からも思ってしまいます。
ただ曙さんはズルをせず、正々堂々戦っていたのはとても素晴らしいと思います。
母にも「勝たないところでズルして勝っても意味はない」
ということを伝えたところ、
「それはそうなのだが、そうも言っていられない会社もある。ズルをしなければならない会社もかわいそうだが、
それを黙認して会社の指示に従わなければならない社員たちの方がかわいそうかもしれない。」
と言われました、確か。
今こうして自分が会社で働き始めて
分かります。
ダメだと分かっていることも売り上げのために何も考えず業務を遂行しなければならない社員のつらさが。
確かに会社の目的遂行のために雇われた社員たちではありますが、
採用広告さえも正直多くの嘘が込められていて、社員たちも本当に会社の理念や方針を理解したうえで集まったかどうか微妙です。
私も会社に対していろいろ誤解していた部分があります。
いや誤解していたというかさせられていたというか…
会社の方針に対して「間違っている」と考えて反抗すれば、今の私同様ほとんど社内で干されているような状態になります。
まぁそのおかげでブログ書く時間も確保できているわけですが…
組織は恐いというか、私にはいにくいというか、悲しいなと思いました。
間違いを黙認し、指示に従うことが社会人なのでしょうか?
だとしたら、私は社会人にはなれませんね。
半社会人…いや半魚人です。
厳しい社会を勝ち抜くためにはズルするのも然りなのでしょうか…?
私の方針に従えばズルをするくらいなら負ける…
社会における敗北、それすなわち「死」でしょうかね…?
ズルをするなら「死」を選ぶ…かっけぇ~!!
死ぬのは恐いけど(笑)
自分の信念に従って生きるためには組織の中ではなかなか厳しそうですね。
各組織の考え方がありますので、それを全て捻じ曲げてやろうなんて考えはありません。
しかし、やはりズルをしないで生きていきたいという気持ちはあります。
さて、ズルの無き世界はどこにあるのか、それを探す旅に出ようと思います。
今日中には戻ります。
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