私はある男に捕まった。
私が何をしたというのか。
さっぱり見に覚えがない。
男は東京都内を走る地下鉄・都営大江戸線車内の、開くことがない側の扉に私を押し付け、左手で肩を強く掴んでいる。
車内に人はほとんどいない。
こういう時ほど満員電車が恋しくなる。
満員電車ならば、この事態に気がついて、誰かが通報してくれただろう。
今周りに見えるだけで人は5人もいない。これでは走行音で私と男の会話は聞こえないだろう。
「お前は…俺の手で警察に突き出してやる…」
男は私に怒り交じりに囁く。
私はこの男に何かしたようだが、覚えていない。何か悪いことをしたのか…?
私は男の腕を掴み、
「私は何もしてません、人違いです。せめて何をしたのか教えてください。」
と男に尋ねた。しかし男は
「お前だけは…お前だけは俺の手で警察に突き出してやる…」
の一点張りだった。
男の腕を掴んでみてわかったことがる。
この男、少なくとも週3回はジムに通って体を鍛えている。かなりの筋肉だ。
背も私より10cm以上高いし、体重は小学3年生1人分くらい重いだろう。
単純に力ではこの男から逃れられることはできない。
それか軍人だ。この男は軍人の可能性もある。
…いや間違いなく軍人だ。だって男は迷彩柄のタンクトップを着ているから。イメージにある軍人とピッタリだ。
私は男の腕から手を離した。
この男が何駅の警察に私を連れて行こうとしているのかわからないが、「その時」が来るまでこの男との奇妙な対面を続けるしかなさそうだ。
10分は経過しただろうか。
まだ男は電車を降りる様子はない。
まぁいい。時間をかければかけるほど、私は有利になるのだから。
ただ、息が暑い。男の息が暑い。
なんだこいつはドラゴンの息子なのか。
燃え盛るような息を私にフーフー吹きかけてくる。しかも鼻息というのが気持ち悪い。
ドアが開いた。
まだ男は降りる様子はない。
しかし「その時」は確実に小さな足音を立てて近づいていた。
私の肩を掴む男の手から少しずつ力が抜け始めた。
次第に男の目の焦点が合わなくなってきているのも感じた。
「どうしました?体調が優れないようですね。腕の力も抜けてきてますよ。さっきの、私の肩をまるでザクロを潰すかのように握っていた力はどこに行きましたかねぇ?」
今度は私が男に囁く。
男は膝が震え始め、白目を剥き始めた。
まるでプールの授業を受けた後に国語の授業を受けている眠気を耐える高校生のようにガクガクと意識を失いかけている。
「ほ…ほはへはへは…ほへははならふ…へいはふひ…ふへへ…」
男のろれつも回らなくなっている。
私は勝ちを確信した。
次の駅に着いた時。
私は逆に男の肩を左手で掴んだ。
ちょっとした衝撃がかかっただけだったが、男はその場に崩れ落ち、眠ってしまった。
力では私は男に勝てない。
だから、最初に腕を掴んだ時に、毒針を刺しておいた。死ぬことはないけれど、昏睡状態が続き、あと数時間は起きることはないだろう。
男は軍人だったのだろう。
私が毒針を持つ能力者だということに気がつきはしなかったのだろうが、何か怪しい気配を感じ取って、警察につきだそうと思ったのだろう。
軍人ならではの危険察知能力、何より正義感が、むしろこの惨事を招いたのだ。おとなしくしていれば、刺されることもなかったのに。
毒針を刺しておいてこういうことを言うのもなんだが、この世界が、正義感ある人間が損をする世界であることは、個人的には気に入らない。
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