「土用の丑の日 ウナギの日」なんていう言葉をご存知でしょうか。「土曜日にウナギを食べよう」というのはちょっとおしいですけど違います。
土用とは暦の1つで、1年間に4つの期間で該当します。立春、立夏、立秋、立冬の直前18日間を土用と呼び、特に「土用の丑の日」とは夏の土用のうち、十二支が丑(牛)に当たる日のこと」を指します。
この日にウナギを食べましょう言っているのです。土用の丑の日が土曜日であることもあります。
この「土用の丑の日はウナギの日」という価値観は、「平賀源内(ひらがげんない)」という人が考えたとされています。
今では広く浸透した価値観である土用の丑の日=ウナギを作り出した平賀源内は、
『日本初のコピーライター』
なんて呼ばれています。
今回はこの平賀源内と土用の丑の日に関する逸話をご紹介したいと思います。
平賀源内ってどんな人?
江戸時代中期の男性です。何をした人かというと、本当に肩書が多い人。
医者、蘭学者、発明家、浄瑠璃作者、地質学者、本草学者…っていう万能マンです。
現代だったら「ハイパーメディアクリエイター」みたいな、そういうのを一括したよくわけのわからない肩書を持つことになっていたと思います。
平賀源内の一番有名な功績としては「エレキテル」を復元したことでしょうね。オランダで発明されたエレキテルは、鎖国時代の日本に持ち込まれました。幕府に献上撃されたものでしたが、
源内は別途手に入れた壊れたエレキテルを1776年に修復しています。
エレキテルというのは今でいうところの「手回し発電機」みたいなものです。まだ電気を使いこなせていなかった時代ですからね、源内の功績は非常に大きかったでしょう。
「土用の丑の日 ウナギの日」という価値観が生まれた逸話
江戸時代のウナギ屋さんの悩みとしては
「夏にウナギが売れない」
ということでした。ウナギの旬は夏だと思われがちですが、これはまさに土用の丑の日の影響でして、
天然ウナギの旬は秋から冬頃とされています。ですので、江戸時代の夏場はウナギ屋さんの売上がダウンしてしまっていたのです。
困っていたとあるウナギ屋さんのもとに平賀源内が現れます。
ウナギ屋
「源内さん、ウナギが売れなくてマジで困ってるんですよ~。何とかならないですかね?」
源内
「う~ん、難しいなぁ(って言われても、色々仕事あるし、こんなことに構ってられねぇよ)」
ウナギ屋
「いやいや、そこを何とか、お願いしますよ~」
源内
「(知るかよ!なんで俺がウナギ屋の経営コンサルしなきゃならねぇんだ。いいや適当に言っとくか)
明日は土用の丑の日でしょ?だったら「土用の丑の日 ウナギの日」って言いふらしなよ。それで集客すれば?」
ウナギ屋
「ああ!いいんじゃないっすか?なんで土用の丑の日がウナギの日なのか、そこにたどり着いた発想がいまいち理解できなくてゾッとするけど、やってみる価値ありそうですね!」
〜翌日〜
ウナギ屋
「今日は土用の丑の日!つまりウナギの日だよ!みんな知らないの?知らないなら寺子屋からやり直せってレベル!」
町人1
「ああ…今日は土用の丑の日だからね…ウナギ食べる日だよ…うん、知ってたし…」
町人2
「そうそう土用の丑の日ね…今日もウナギ獲りに行くつもりだったし…」
ウナギ屋に殺到する人々
ウナギ屋
「すごい!どんどん売れてる!やはり源内さんの言った通りだ!」
源内
「マジで売れてる…適当に言っただけなのに…」
というような感じで土用の丑の日はウナギの日という価値観が根付いたとされています。 もちろんこれも一説に過ぎず、確たる証拠というものは見つかっていません。っていうか私の妄想です。
言葉一つでウナギの売れ行きを向上させた平賀源内の業は、当時は認識されなかったかもしれませんが、
まさに現代の「コピーライター」そのものです。
私の空想では平賀源内は適当に言った言葉でウナギをバカ売れさせたとしてしまいましたが、本来コピーライターは1つの商品に何百もの言葉の案を出します。そう簡単に一言ポイっと出すだけでは務まらないのです。
でもすごいですよね、江戸時代に生まれた価値観が、国際化が進んだ数百年後の日本でもまだ存在しているというのは。
本当にコピーライター冥利に尽きる功績でしょう。源内は正確に言うとコピーライターではないですが。
土用の丑の日はこの平賀源内のエピソードを話すと少し博識ぶれますよ。
今は9月なので…あと1年くらいたったら披露してみてください。
すみませんね、紹介が遅れまして。
ちなみに、平賀源内は男性が好きだったそうです。その為、妻はいなかったとされています。
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