私の名前はジロギン。

HUNTER×HUNTERなどの漫画考察や、怪談・オカルト・都市伝説の考察、短編小説、裁判傍聴のレポートなどを書いている趣味ブログです!

スランプに陥った時に個人的に行っている対処法を紹介するよ!

 

私の名前はジロギン。

 

普段はあまりないのだが、今日は「ブログのネタが枯渇する」という異常事態に陥ってしまった。全くもって書くネタがないというわけでもないのだが、どうも書く気が起きずにいた。

おそらくこれが「スランプ」というやつだろう。ブログにおいてこうもはっきりスランプに陥るのは初めてかもしれない。う〜む、参ったことだ。

 

ブログでは初めてではあるが、私がこれまで取り組んできたことにおいては幾度かスランプに陥ったことはある。勉強や部活、仕事などなど。

まぁ大体のことは解決してきた。その方法はというと

何もせずに休む

ということだ。「私なりの」という前置きをしたほうがいいのだが、これがブランクの解消方法だ。この「休む」ことが私にもたらしてくれた作用について紹介したいと思う。

ブログに限らず、今何かスランプに陥っている方の参考になると良い。

 

 

 

疲れちゃってる

毎日ひたすら何かを続けているとスランプに陥りやすいと私は考えている。特に同じような作業を続けているとなおさらだ。

私はブログを毎日書いている。内容こそことなれど、「ブログを書く」に当たっての作業はほとんど同じなので、どうしても心身ともに疲れてくる。ブログの場合は心の疲労だろうか。

厄介なのは心の疲労で、これは体と違ってイマイチ気がつきにくい。気がついたときには限界を迎えてしまっているときもあり、それが原因でスランプに陥り、成果も出ない、やる気も出ないという状態になってしまう。

なのでまずは今取り組んでいることを忘れて、心も体も休めるべきだと思うのだ。休憩なく動き続けることはできない。渡り鳥ではないのだから。

もし仮に渡り鳥のように、「右脳と左脳を交互に眠りにつかせることで実質的に休まずに活動できる」なんていう能力を持っていたら別だが、そんな人間はいない・・・はず・・・

 

 

「明日やろう」の精神

「明日やろうは馬鹿野郎」なんて言葉をよく聞くようになった。明日できることでも後回しにせず、今日中に片付けやがれこの馬鹿野郎が!」という意味の言葉だ。あれ?これだとどのみち馬鹿野郎になってしまうか。まぁいいや。

熱意ある素晴らしい言葉であるし、人生の教訓にもなりそうな言葉である。でも私は「明日できることは明日やろう」という精神で生きている。

私は2017年現在、会社員として毎日毎日働いている・・・嘘だ、週5日で働いている。いつかはフリーランスとして生活できるようになりたいと考えているが、もし定年退職まで働くとしたら、今24歳だから、あと40年くらい働かなければならないわけだ。いや、私たちが「そろそろ定年だな」と思う頃には少子高齢化が進みすぎて定年退職なんていう概念すらなくなっているかもしれない。

「オラ働けこのクソジジイ&ババア!親のため、自分のため、子供のため、そして孫のため、働き続ける宿命を背負って生きてきたんだお前らの世代はぁ!」

という世紀末な感じになっているかもしれない。私も刑務所のさらに奥にある地下労働施設でひたすら自転車型の発電機を漕いで電気を刑務所に送り続け、獄中の犯罪者たち以下の生活を強いられるかもしれない。

なんてことを考えると、そんなに無理する必要ってないと思うのだ。まだまだ先は長いから、明日できることは明日でいい。いつもこんな考え方をしていていいわけではないが、あまり調子が乗らないスランプの日は自分を許してあげていいと思う。

 

 

そのうちやりたくなってくる

私にとってのブログもそうなのだが、毎日続けていたことは習慣になってくる。或る日突然その習慣を止めてしまうのがスランプ状態なのだと思うが、習慣を続けないとそのうちやりたくてムズムズしてくる。

極端な例を出すが、多くの人にとっては「お風呂に入る」なり「シャワーを浴びる」ことが習慣になっていることだろう。私も毎日シャワーを浴びる。もしこの習慣を或る日突然辞めてしまったとしよう。1日くらいはシャワーを浴びなくてもいいだろうが、2日3日になってくるとそうもいかなくなるはずだ。自分の体臭、周囲の人の反応、飼い犬が寄り付かなくなるなどの現象が起き始め、絶対にシャワーを浴びたくなってくる。

習慣をやめたことによる歪みは必ず生じて、また習慣を繰り返す方に向かわせるはずだ。

私でいうブログの場合、更新しないことによってPV数が日に日に下がり始めたら、

「クソォォ!これまで築いてきたブログという名の牙城が崩れ去るのは嫌だよぉぉ!」

とまた再び更新を始めるはずだ。習慣になったことからはなかなか離れられない。

 

 

 

自分に課しているハードルが高すぎる

物事が上達してくると、より高度な質を求めるのは人間の性かもしれない。ブログならば「昨日よりもPV数を多く稼ぐ記事を書いてやる」という気持ちになってしまう。やる気があるのは素晴らしいことなのだが、そのやる気が自分に対して「これではダメだ、もっとレベルの高いものをこなさなければ!」という異常に高いハードルになってしまうこともある。こうなるとスランプになってしまう。

そんなに高いものを求めず、まずは最低限のクオリティのもので満足していいはず。私もスランプ中ということでこの記事も超適当に書いている。できない時はできない。その道のプロでも全然ダメな日があるのだから、私たちにだってあって当然。だからまずは休憩も兼ねて適当に行こう適当に!

 

 

結局書いちゃってるし

ブログのスランプに陥ったはずが結局記事を書いてしまっている私。ひとまず今日陥ってしまったスランプからは脱却できた。スランプは長期間続くイメージがあるが、そん安易深く考えずに、今日の体調、人間関係、天気、気温、湿度、ストレスなど、1日のうちのほんの些細なきっかけでなってしまうこともあると思うのだ。

深く考え込みすぎるとスランプは長引く気がする。

「まぁうまくいかない日もあるよ!次だ次!」

と考えてしまっていいと思う。

「とりあえずやってみるか、リハビリ程度に。」

でOK!

ってことで絶不調のジロギン、今日は締めも適当になっちゃうけど、ごめんね。

明日は・・・ちょっとわからないけど頑張るよ!