私の名前はジロギン。

HUNTER×HUNTERなどの漫画考察や、怪談・オカルト・都市伝説の考察、短編小説、裁判傍聴のレポートなどを書いている趣味ブログです!

【テニスの王子様】海堂薫の「スネイク」というテニス少年たちを魅了した技

 

今回は、あの錦織圭選手も憧れた大人気テニス漫画「テニスの王子様」について書いていきます。

考察というよりは、「こんなことがあったんだよ」という昔を振り返る記事です。

 

かくいう私も、「テニスの王子様」を見てテニスを始めました。めちゃくちゃ魅了されましたね。

原作ではなくテレビアニメから入りました。確か、小学校4年生くらいだったと思います。

 

憧れましたよ、主人公の越前リョーマ・・・ではなく

海堂薫の「スネイク」に!

 

 

 

海堂薫とは?

f:id:g913:20171123181952j:plain(引用:テニスの王子様 2巻25P/許斐剛)

主人公・越前リョーマが入学した青春学園中等部のテニス部2年生です。

バンダナ姿で、口数が少なく一人でいることの多い陰キャラ・・・かと思いきや同級生の桃城や他校生と喧嘩になることも多い熱血な男性です。

 

強豪とされる青学テニス部で2年生にしてレギュラー選手になった実力者ですが、リョーマと初めて戦った校内ランキング戦で敗北。

その後、3年生の乾のサポートもあり、素振り1500回や数十キロのランニングなどハードなトレーニングを毎日こなすことで、強くなっていった青学でも屈指の努力家です。

 

プレイスタイルは、防御重視で相手の隙をつく「カウンターパンチャー」というスタイルです。海堂は相手を左右に揺さぶり、体力を削ったところを攻撃するテニスを得意としています。

まるで蛇のようにしつこいプレイスタイルから「マムシ」とも呼ばれていました(こう呼んでいたのは桃城くらい)。

乾のトレーニングメニューによりスタミナが何倍にも強化された海堂は、さらにプレイに磨きがかかりましたが、やはりリョーマ、手塚、不二からシングルスの座を奪うことは難しく、作中後半ではダブルス選手として試合に出ることが多かったです。

 

この海堂が得意としていた技が「スネイク」という技です。

スネイクとは?

足の体重移動の瞬間に、ラケットを大きく振り抜き、ボールに回転を掛ける技です。

回転によってボーツは大きく曲がり、相手のコートに落下します。

相手から角度の強いボールを打たれた時に、緊急回避として使われることが多いです。

f:id:g913:20171123182217j:plain(引用:テニスの王子様 2巻22P/許斐剛)

本当は、「バギーホイップ(ウィップ)ショット」と呼ばれる技術です。牛車を引く牛を叩く鞭のような動きをラケットですることから、こう呼ばれるとされています。

 

実際にテニス選手が使うことも多く、フェデラーやナダルなど、トッププレーヤーも多用します。

youtu.be

海堂の「スネイク」もこれと同じです。プレイスタイルと大きく曲がるボールの軌道が蛇のようであるため、「スネイク」と呼ばれています。

 

私はこのスネイクに憧れてテニスを始めようと思ったのです。

スネイクの魅力

まず名前がかっこいいですよね、「スネイク」って。

めちゃくちゃ厨二病ですよ!まぁ海堂がまさに中学2年生なので、そこら辺はご愛嬌なのですが、やっぱりこのネーミングはかっこいいものが大好きな学生男子の大好物ですよ。

蛇ですよ、蛇。かっこ良さしかないですよね。

 

そして大きくカーブするボールの軌道。男子は曲がってるものが大好きです。

湾曲しているものを好む習性があります。

野球でいうとカーブとかスライダーが大好きです。シュートも好きです。

多分、学生時代の男子はひねくれてる子が多いですから、そのひねくれた心を体現してくれているかのうような湾曲に魅力を感じるのだと思います。

スネイクはそんな僕達にどストライクでした。

 

さらにかっこいいのがですね、海堂にとってこのスネイクは決め技ではないということです。

 

スネイクのカーブボールを相手に追いかけさせることで、コート上を走らせ、体力を奪っていく。これが海堂の戦略。つまりスネイクは海堂にとって囮に過ぎないのです。

大技のような演出がありながら、それすらも囮という二段構え・・・このかっこ良さをわかってほしい・・・男子にとって最高なんですよ、この「奥の手は隠しておく」みたいな展開!

 

そんな海堂を見て、10歳くらいだった私は

テニスやりてぇ!

スネイク打ちてぇ!

となってしまったわけです。

マッマには言えず

ということで私はマッマにテニススクールに通いたい旨を打診したのでした。

当時は塾にもいかず、習い事もせず、友達とゲームばかりしていた私。

そんな私を母も心配していたことと、母も当時テニスの王子様にはまっていて、リョーマが好きだったこともあり、交渉は意外とすんなりいきました。

ある一点を除いては・・・

あのさ、テニススクールに通いたいんだけれども

おお!いいじゃん!お金は出すよ!リョーマみたいになりたいの!?

いやぁ、リョーマっていうか海堂・・・

リョーマみたいに帽子かぶって!テニスやったらいいじゃん!試合とか見に行くよ!

いや帽子っていうかバンダナ巻きたくて・・・

ラケットも赤いの買おうよ!そしたら完全にリョーマじゃん!顔はうん・・・まぁ・・あれだけど・・・

(ここで無理に海堂になりたいと言えばスクールに通えなくなるかもしれない)
うん!僕リョーマになりたい!

 私は屈してしまいました。

その後、帽子と赤いラケットを持ってテニススクールに通っていた私。

同じような子がスクールに15人くらいいました。

 

 

 

高校時代に発覚したこと

形から入ったテニスでしたが、私はそれから高校まで、約8年間にわたってテニスを続けました。

これまでの人生で一番長く続いたことだと思います(強くはなかったですが、それなりに上手くはなりました)。

 

さすがに高校生にもなってリョーマくんスタイルはしてませんでしたが、やはり同級生はみんなテニスの王子様に憧れてテニスを始めてました。

 

で、どのキャラが好きだったかという話に1回だけなったことがあったのですが、

なんと、満場一致で

海堂!

そして

スネイクが打ちたくてテニスを始めた!

というのです。

 

まぁ私の身の回りの観測結果になってしまいますが、海堂、そしてスネイクは当時のテニス少年たちの心をがっしり握っていたのではないかと思います。

もう、全国のテニス少年のほぼ全員がスネイクに憧れていたと言っても良いのではないかと。

 

一応リョーマを真似している子は多かったですが、それは仮面。

当時の私と同様、親を納得させる材料としてリョーマの仮面をかぶっていただけで、心の底では海堂に憧れていたのではないと思います。

 

もう15年近く前になるとは思いますが、当時のテニスブームは、錦織選手が活躍目覚ましい昨今ほどではないにしても、ものすごい影響がありました。

その立役者は「テニスの王子様」であり、もっと細かく見ると海堂のスネイクなのではないかと私は考えています。