私の名前はジロギン。
今日もことわざを調べていて、気になることを見つけました。
飴と鞭(あめとむち)ということわざがありますよね。
かなり有名なことわざで、日常会話で使う人も多いのではないでしょうか?
鞭で叩くように厳しくするときもあれば、飴のように甘く、優しく接するときもある。
そんな感じのことわざです。
が、このことわざ・・・
鞭で叩かれる代償が飴って割に合ってなくない?
と感じるのです。
飴なんて、タダでもらっても幼稚園児ですら喜ばないよ!しかも鞭で打たれるとか、狂気の沙汰だよ!
なぜ飴と鞭が同等の価値のものとして並べられているのでしょうか?
「飴と鞭」の意味
まずは「飴と鞭」の意味を説明します。
意味:しつけや指導において、甘やかしたり厳しくしたりを使い分けること。
部下の育成などにおいて、
「甘やかすだけでもダメだし、厳しくするだけでもダメ。両方を使い分けることで部下はついてくるし、良く育つ。」
なんて、よく言われますね。
こういう時に「飴と鞭」ということわざが使われます。
なぜ「飴」と「鞭」なのか?理由はドイツ語にあり!
「飴と鞭」は、日本で生まれたことわざだと思われがちですが、もともとはドイツで生まれたことわざなんですよね。
ドイツ語で「飴と鞭」は
Zuckerbrot und Peitsche
と言うそうです。・・・・・
ちょっと何言ってんのかわからないですよね。解説します。まずはこのことわざがドイツで生まれた経緯から。
1880年代、当時ドイツ帝国の首相だった「ビスマルク」が、人々の貧困と階級制度をできる限り緩めようと、世界初の社会保険制度を制定しました。
それと同時に、当時の社会主義者たちを鎮圧する法律も作りました。
これを受けて社会主義派の人々は
社会保険制度=飴
社会主義者鎮圧制度=鞭
と考え、ビスマルクの政策を批判するための言葉として
Zuckerbrot und Peitsche
ということわざが使われるよになったそうです。
Zuckerbrot und Peitscheを日本語訳すると
人参と鞭
という意味になります。
人参、そして鞭・・・この2つから連想されるものといえば、そう
お馬さん
ですよね。
馬にとって大好物の人参と、早く走るために人間に打たれる痛い鞭。
ビスマルクが決めた貧困層を救う社会保険制度は、馬にとって旨味のある人参と、一方で社会主義者を鎮圧する制度は、暴力的な鞭と例えられたのです。
このドイツの言葉が日本語バージョンとして「飴と鞭」となり、日本で広まりました。
なぜ「人参」を「飴」と訳したのか?
「飴と鞭」はもともとビスマルクを批判しようとして生まれた言葉ですから、
人参=飴=甘やかし
と考えるのがベストだと思います。
「飴」という言葉は、日本では、
飴を舐めさせる
意味:甘い言葉で相手を油断させて騙すこと
などと使われることもあり、「甘い言葉、甘やかし」という意味も持っています。
ですので人参を甘やかしの意味を持つ「飴」と訳したのでしょう。
飴と鞭の飴も、お菓子の飴ではなく、「甘やかす」という意味で使われています。
まとめ
ということで、「飴と鞭」は割に合っていないのではなく、
「人参と鞭」というドイツの言葉を日本になじむように訳したからこうなった
という解釈でいいと思います。
人間にとって飴と鞭では釣り合いませんが、馬にとっては人参を貰うのと鞭で叩かれるのは同等くらいの価値がありそうですね。
馬視点の言葉だったって感じです。
飴と鞭・・・両方大切なのはわかります。
が、私は会社などで教育されるのだとしたら飴または人参だけで結構ですかね・・・
鞭で叩かれて喜ぶ人もいるよね?
私は鞭で叩かれるのは絶対に嫌です。
仮に「お金をあげるから鞭で叩かせて」なんて言われたら・・・その時は考えますね(笑)
私と同じ考えの人も多いと思います。
一方で、世の中には
「ぜひ鞭で叩かれたい」
と思う人もいるわけです。
もちろん叩く相手にもよりますが、そういうことにお金を払っている人もいます。
ここからは個人的な考えになりますが、
お金を払ってくれるなら鞭で叩かれてもいいと思う人と、お金を払ってでも鞭で叩かれたいと思う人、この両者の間をとって、鞭で叩かれる代償の妥協点となるのが、
飴ちゃん
なのかもしれません。
プラマイゼロ、むしろマイナスみたいな。
・・・自分でも何言ってるのかわからないので、やっぱり忘れてください。
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