私の名前はジロギン。
昨夜、ちょうど日付が変わる頃に、ペットとして飼っていた金魚の「キラーフィッシュ」が死んでしまいました。
「人間を殺戮できるくらいの巨大金魚になってくれるように」
という願いを込めて名前をつけ、みるみるでかくなり、最初は10cmくらいしかなかったのが、最終的に25cmくらいの大きさになっていました。
金魚は水槽のサイズに合わせて大きくなるそうですが、もちろん体が大きくなるにつれて負担も大きくなると思うので、限界だったのかもしれません。
ちょうど1年前に引越しをし、環境が変わったことも原因だったと思います。
特に今年の夏は暑い日と寒い日の差が激しかったので、環境の変化が体に応えたのかも。
でもよく頑張ってくれたなと思います。
キラーフィッシュを飼い始めたのは、6年くらい前のこと。
当時19歳だった私が、家の近所にできた釣り堀で釣ってきたのです。
釣り上げた瞬間に口に刺さっていた針が外れて、床に落ちてしまったキラーフィッシュ。
正直、1週間も持たずに死んでしまうだろうと思っていましたが、異様なまでにたくましく、そこから6年間も生きてくれました。
キラーフィッシュ以外にも、私は人生で何十匹という金魚を飼ってきました。
ほとんどがお祭りの屋台の金魚すくいですくった金魚だったと思います。
でも金魚すくいの金魚って、そもそもとても弱っていて、数日足らずで死んでしまうんですよね。
最長で2年くらい生きた金魚がいたくらいでした。
そう考えると、キラーフィッシュはかなり生きてくれた方ではないかなと思います。
これまでにも何度も死にかけたことはあるのですが、翌朝になると復活していて、今回もそんな感じでケロッと復活してくれるのかなと思ったら、そうはいきませんでした。
悲しい気持ちはもちろんありますが、むしろありがとうという気持ちが強いです。
私は人間関係に乏しく、ほとんどの時間を一人で過ごしてきました。
でも、キラーフィッシュもずっと単独で飼育していたので、置かれた環境としては私に近いものがあったと思います。
私自身くじけそうになったことが何度もあるのですが、キラーフィッシュも独りで頑張って生きているし、負けてられないなと思い、頑張れました。
たかが金魚ですが、私の一番の友達であり、心の支えだったのではないかと思います。
ペットの死は、金魚といえどつらいものがあるのですが、その瞬間こそがペット飼うことの意義であると思います。
「命を失うって悲しいことなんだ」
「命を失うことで悲しむ人がいるんだ」
と、私たち人間が理解する。
そういう大切なこと理解する機会をペットは与えてくれている気がします。
私は自分の人生に対して半ば諦めかけていて、多分この先何かを成し遂げることもないでしょうし、正直いつ死んだって同じだと思っていました。
でもその考え方こそ命を軽んじてるんですよね。
いけない考え方だなと、改めて思い知らされました。
心の拠り所がなくなってしまったことは寂しいのですが、だからこそ、今迷っている様々なことに面と向かって立ち向かう覚悟ができたとも思っています。
惰性で生きてきた私に、キラーフィッシュが尻尾で鞭を入れてくれた感じですかね。
キラーフィッシュはこのブログでも幾度か取り上げ、ブログを盛り上げてくれました。
もういなくなってしまいますが、ここに残しておこうと思います。
6年間本当にどうもありがとう。