私の名前はジロギン。

HUNTER×HUNTERなどの漫画考察や、怪談・オカルト・都市伝説の考察、短編小説、裁判傍聴のレポートなどを書いている趣味ブログです!

「おれはかまきり」作:かまきりりゅうじ はこんなにすごい詩だった!

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詩、すなわちポエムって良いですよね。
小学生の頃は、詩って韻を踏むとか口語なんちゃらとかルールがたくさんあって「もっと自由に表現させてくれよ!」と思ったものです。

当時から作文は好きだった私は「◯◯をテーマに詩を書いてください」みたいなものは苦手でした。


しかし時を重ねていくにつれて、詩の良さに気がつきました。制限がある中で表現するからこそ良いものが生まれるんですよね。

スポーツにもルールがあるから面白いように、ルールのもと詩を書くから他の詩との違いが明白になって、束縛されているようで、逆に多種多様な作品が生まれる。

そこに良さを見出せるようになりました。

 

それでも詩は苦手ですね。書いてるとすごく長くなってしまいます。

「もしこれを歌にするとしたら7番まであるよ」というくらい長くなってしまいます。

言いたいことを端的に言うのが苦手ということでしょうか?

 

書けるなら書けるようになりたいけど、詩みたいにかっこいい表現ってなかなか思い浮かばないんですよね。センスですよねコレは。

当ブログの書き方的にも、私は世間話っぽい文章を書くので、正直かっこいいっていう評価には程遠いです。主役を張れない文章と言った方が良いでしょうか。

 

 

もちろん詩が好きであることには変わりないので、人の書いた詩を読むのは好きです。
相田みつをさんはポエマーの神として私に多くの価値観を与えてくれました。
そういうわたしはいつもセトモノっていう締めがとても上手い「セトモノ」という詩が一番好きですね。私もいつもセトモノなので。

 

相田みつをさんの詩はとても素晴らしいのですが、私が「なんだこれは!?詩の世界は奥が深いというか、深すぎて何もみえないぜ!」と思った詩があります。

 

それは


「おれはかまきり」


という詩です。有名な詩ですよね!


多くの方が小学生の時に遭遇しているであろう詩です。国語の教科書にて登場し、とてつもない衝撃を与える詩として有名です。

私は小学生の頃、この「おれはかまきり」とは出会うことなく時を経てしまい、「おれはかまきり」と初めて出会ったのは20歳ごろでした。

 

多分小学生の頃に「おれはかまきり」を読んでも「へぇ。」くらいにしか思わなかったと思いますが、大人になってから読んだことで、「詩っていうのは本当は自由なんだ」と思えるようになりました!大人になって気づかされる良さがありましたよ!

 

 


「おれはかまきり」がどういう詩かというと、こんな詩です。

 

おう なつたぜ
おれは げんきだぜ
あまり ちかよるな
おれの こころも かまも
どきどきするほど
ひかってるぜ


おう あついぜ
おれは がんばるぜ
もえるひを あびて
かまを ふりかざす すがた
わくわくするほど
きまってるぜ

 

 

という詩です。
いかがでしょうか。正直何を伝えたいのかわからない詩だと私は思います。


しかしそれで良いのです。
なんだかこう雰囲気が良いですよね。

 

本当に着飾ってない、ありのままに感じたかまきりの姿をそのまま描いています。
もはやかまきりが憑依してるんじゃないでしょうか?かまきりが「暑い」と感じるかどうかなんて普通考えませんよ。

そんな感情がかまきりにあるのか?温度を感じる神経が走っているのか?そんなことまで考えさせられてしまう詩です。深いですね。浅いがゆえに深いみたいな。

 


また衝撃的なのは、「おれはかまきり」の作者は工藤直子さんというポエマーさんなのですが、「おれはかまきり」は


かまきりりゅうじ

 

という名義で書いています。
作品によって作者がペンネームを変えるということは良くあることですが、かまきりりゅうじってなんじゃい!!?
得体の知れなさが半端じゃないですよ!

 

かまきりりゅうじとは何なのか・・・?
「りゅうじ」という名前のかまきりのことで、このりゅうじが感じたことを詩にしたのか、それとも「かまきりりゅうじ」という芸名のピン芸人のネタがこの詩なのか…

謎が深まります。実際にいそうですね、かまきりりゅうじという芸人さん。

 

やはりかまきりが憑依し、工藤直子さんは一時的にかまきりに人格を奪われ、「かまきりりゅうじ」という別人格になりこの「おれはかまきり」を書き上げたということでしょうね。トランス状態というやつですか。

 

 

 


さらにすごいのは、タイトル以外に「かまきり」という言葉が文中で1度も登場しないことです。

絶対に「おれは かまきりだぜ」っていう文章を入れてしまいがちだと思うんですけど、タイトルでかまきりと言及しているのだから、文中ではかまきりという言葉を使わずにかまきりを表現しています。


これもやはりかまきりりゅうじだからこそなせる技。

私たちが詩を書いたとしたら「おれは人間だぜ」なんて文章を書くでしょうか?いや書きません!なぜなら当然だから!


かまきりりゅうじにとって自分がかまきりであることは当然なのだから、わざわざ自分がかまきりであることに触れる必要はないのです。

才能が段違い過ぎる!!

 

 

本当に詩は自由なんだなと思わせてくれた素晴らしい詩です。
「おれはかまきり」と出会っていなければ、私は未だに詩を苦手としていて、興味すら持てなかったかもしれません。

自分の価値観が変わることってそんなに多くないですけど、「おれはかまきり」はまさしく私の価値観を180度、いや、540度変えましたね。

 

 

そしてかまきりりゅうじの才能に目が行きがちですが、「おれはかまきり」を人格形成期の小学校低学年の子供たちが読む国語の教科書に掲載することを決定した編集者!まさに英断!

この判断に踏み切れたことがすごい!

 

単純に子供向けの詩だから、というわけではないですよ!国語の教科書に掲載されている文章って、その文章をテーマに考察するためのものです。

「おれはかまきり」を考察するのって相当難しいですよね?解釈の仕方が様々すぎて、答えは出ないと思います。それを小学生にやらせるっていうのはシビアですね。

 

全部ひらがなですし、短いですし、子供向けかと思いきや実はそうでもない。

人気漫画「ぼのぼの」に通じるシュールさというかブラックさがあります。

 

「おれはかまきり」に影響を受けて、人格形成期の小学生の中には自らを「かまきりなのではないか?」と錯覚してしまい、そこからかまきりりゅうじに人格を奪われてしまうなんて子も全くいないわけではないと思います。

そしてまた新たなるかまきりりゅうじが生まれていく…

 

 

「おれはかまきり」レベルの詩を書けるようになりたいなと私も思います。
しかし詩を書くのはやはり苦手ですので、


「この生き物はこんなことを考えてるんじゃないか?」

 

というようなブログはたまに書いています。
完全にこの「おれはかまきり」の影響を受けてます。
生き物の感情はわからないので、いろいろと考えが広がって面白いです。

 


おう 出勤時間だぜ
おれは がんばるぜ
あまり ちかよるな
おれの こころも からだも
ドキドキしないほど
くさってるぜ

 

のはらうた〈5〉

のはらうた〈5〉

 

 


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