クロカバ動物園は、今日も多くの家族やカップルで大盛況。特に、県内唯一のモルモットおさわり広場は小さな子どもたちに大人気だ。
モルモットの飼育員である宇佐木 早苗(うさぎ さなえ)は、モルモットと触れ合う子どもたちの笑顔を見ることに、仕事のやりがいを感じている。
そんな宇佐木も、十数年前にクロカバ動物園のモルモットおさわり広場によく来ていた子どもの一人だった。成長して、東大を卒業後、新卒でクロカバ動物園に就職。モルモットおさわり広場の担当になった。
宇佐木の仕事は、広場に来た子どもたちを横目にモルモットを観察し、体調に変化がないか管理をすること。
この日、広場には子どもが常に30〜40人はいるほどの盛況っぷり。宇佐木だけでなく、モルたちも大忙しだ。
そんな「平和」という言葉を具現化したような空間に、男は現れた。短い茶髪で、身長はおよそ190cm、筋肉モリモリな体、白いタンクトップにピチピチのデニム。モルモットおさわり広場には似つかわしくない風貌である。
宇佐木はモルモットの観察を一旦止め、男を警戒した。たまにいるのだ。子どもを目当てに広場にやって来る変態が。広場は子どもの保護者も入ることがあるため、年齢制限がない。筋肉モリモリマッチョマンの変態でも入ることはできる。
こういう危険そうな人物に広場を荒らさせないことも、宇佐木の仕事の一つ。宇佐木は牽制する目的で、男に話しかけた。
宇佐木「こんにちは〜」
男は眼球だけを動かし、宇佐木を見下ろす。宇佐木は小柄なため、もし男が強引に何かしてきたら、力負けてしまうだろう。まるでライオンを目の前にしたモルモット。そんな気分になった宇佐木だが、モルモットは子どもたちを守るためなら、たとえ相手がライオンだろうと噛みつくのだ。
男が放つプレッシャーに全く臆さない宇佐木。
そして男が口を開いた。
ジョー「こんにちは。オレはジョー・宗則(むねのり)という者だ。予約していないのだが、今から男性1人、入れるか?」
宇佐木「大丈夫ですよ〜!予約不要ですので〜!」
聞いてもいないのに名乗る。モルモットおさわり広場に予約という概念があると思っている。間違いなく頭のイかれた危険人物だと、宇佐木は直感した。なおさら子どもたちに近寄らせるわけにはいかない。もちろん、モルモットの安全も確保する必要がある。
宇佐木は、ジョー・宗則と名乗る男が広場を去るまで、付きっきりでマークすることにした。
宇佐木「モルちゃん、抱っこしたことありますか〜?」
ジョー「ヘビやカエルなら食べるために戦地でよく獲った。だがモルモットは食べたことがないのでな。オレは食べる目的以外で動物に触れることはない」
戦地……食べる……宇佐木の脳内で、ジョーへの警戒度はMAXを超えた。
できれば、自分が手塩にかけた大切なモルモットたちを抱かせることすらしたくない。
宇佐木はいかにこの場を穏便に済ませるか考えた。
宇佐木「そうですか〜、それだといきなり抱っこするのは難しいかもしれませんね〜。モルちゃんはとても繊細なので、ビックリしちゃうかも〜。なので、私が抱っこするモルちゃんの頭をなでてみましょうか〜」
ジョー「いや、心配ない。オレは手榴弾というモルモット以上に繊細なものを何度も扱った経験がある」
この広場にとってお前の存在そのものが手榴弾だよ、と宇佐木は心の中で叫んだ。
怪しい人物だが、今のところ推定無罪。何も問題を起こしていない以上、ただの客だ。客がモルモットおさわり広場に来て、モルモットを抱っこしたいと言うのなら、飼育員が偏見だけを理由に断ることはできない。
宇佐木「そ、そうですか〜。じゃあ、アミちゃんを抱っこしてみましょ〜!あそこにいる白と茶色のモルが、アミちゃんです!人懐っこい良い子なんですよ〜」
ジョー「ARMYちゃん。元傭兵のオレにピッタリな名を持つモルモットだな」
宇佐木「違います!ARMYちゃんじゃなくて、アミちゃんです〜!」
宇佐木は地面で牧草を食べているアミちゃんを両手で拾い上げ、ジョーに渡す。ジョーは腕を組むようにしてアミちゃんを抱きかかえた。その腕はボンレスハムのように太く、アミちゃんが締め殺されないか心配になった宇佐木。しかし意外にも、ジョーはモルモットを抱くのが上手く、アミちゃんもリラックスしている様子だ。
モルモットに限らず、動物への接し方にはその人物の性格が表れる。優しい人ほど、動物に対し丁寧に接することが多く、動物のほうも心を開くのだ。
アミちゃんを抱く様子を見て、宇佐木のなかでジョーへの印象が少し変わった。
宇佐木「お上手ですね〜!アミちゃんはおとなしい系女子ですが、今日はなんだか、うっとりしてるような気がします〜!」
ジョー「女と銃の扱いでオレの右に出るものはいない。まぁ、オレの股間についているマグナムは、まだ1回も女に向けて撃ったことはないがな。ハッハッハッ!」
やはり危険人物。警戒を緩めてはいけない。宇佐木は改めて気を引き締めた。
ジョー「正直さっきまで、モルモットを触るだけで何が楽しいのかと、あなどっていた。が、なるほど……この毛並み、足の裏のふくらみ、薄い耳……触っているだけで心が癒される……他者を殺め続けることで痛めた、このオレの心が」
宇佐木「ちょっと物騒な言葉が聞こえた気がしますが、いいですよね〜モルちゃん!私もモルちゃんが大好きで、ここで働くことにしたんですよ〜」
ジョー「そうだったのか。なら、アンタは毎日このモルちゃんたちと触れ合えるわけだ?」
宇佐木「そうです〜!たぶん、うちの動物園で一番モルちゃんに触れてるの、私ですよ〜」
ジョー「そうか……ならばオレを雇え!」
ジョーは右ポケットから折りたたみ式のナイフを取り出した。
ジョー「さもなくば、このアミちゃんを網目状に切り裂く……オレもそんなことはしたくない。だから頼む!言うことを聞いてくれ!このオレを雇え!」
宇佐木「何やってんですか!?警察呼びますよ!」
ジョー「PTSDに悩むオレには、モルちゃんに触れ合うアニマルセラピーが必要だ……その上で給料がもらえるこの職場こそ、オレがいるべき場所!だからオレを雇え!」
宇佐木「なんて傲慢なんだ!でも、言う通りにしないと、アミちゃんも子どもたちも危険だ……」
心臓が強く拍動するのを感じながらも、大きく息を吐き、気持ちを落ち着かせる宇佐木。
ジョー「給料は最低でも手取りで35万にしてくれ!」
宇佐木「……分かりました。ですが、私はあなたを雇用できる立場ではありません。今から園長に連絡をしますので、それまで何もせず待っていてもらえますか?その約束ができなければ、園長には連絡しません」
ジョー「ああ、約束する。信頼してくれ。オレは三日三晩、汚ったないアマゾン川に肩まで浸かり続けたくらい、動かないことに定評がある」
宇佐木は広場の裏にある事務所に行くと、机の上に置かれた電話の受話器を握った。
連絡した先は、園長ではなく警察。
30分後、警察官8名が広場に到着。ジョーは愚直にも全く動くことなく、逮捕された。警察が来てもなお、採用されるチャンスがあると思い込んでいたのだろう。
アミちゃんは宇佐木によって無事保護され、広場にいた子どもたちにも危険が及ぶことはなかった。
警察官に両腕をつかまれパトカーに乗せられる直前、ジョーはこんなことを口にした。
ジョー「オレ自身が警察どもにおさわりされちまうとはな……そう、オレたち人間は、顔を見ることすらできない上位存在が支配する、この社会という実験室で飼われているモルモットに過ぎないのかもしれない……」
<完>