川本 俊之(かわもと としゆき)は、過去かつてないほどの苦境に立たされていた。
大学時代から友人に恵まれ、1年生の時に付き合い始めた彼女とは現在も交際が続いている。
大学卒業後は大手家具メーカーに営業職として就職し、順風満帆に思えた自分の人生。
しかし入社した会社はブラック企業。給料は良いものの月の残業時間が80時間を超えることは当たり前。先月は120時間近く残業するほどのブラックさだった。
残業は川本の作業効率の悪さや営業成績の低さなども原因なのだが、仕事をスムーズに進めるコツがなかなかつかめず、四苦八苦している。
それでも仕事が楽しければ働き続けられるだろうが、業務中は上司にパワハラまがいの発言をされ、精神的に追い詰められることもしばしば。
昨日なんて、
「お前は目つきが悪い。昆虫図鑑でお前の目と同じ柄の羽をした蛾を見たことがある。しかも毒を持ってる蛾だった。不快だ」
と言われた。連日長時間残業をしていれば、毒蛾のような目つきにもなるだろう。
「お前だっていつもカマドウマみたいな色のスーツ着やがって」
と上司に言い返したいところだったが、立場上難しい。
「嫌なら退職すればいいじゃないか」と思うだろう。だが、そうもいかない理由がある。
現在付き合っている彼女とは近々結婚する予定で、しかも彼女のお腹の中には赤子がいる。
今は彼女も働いているが、近いうちに産休に入る予定だ。
彼女、いや将来の奥さんと子供を養うことを考えると、給料の良い今の仕事を辞めることには不安がある。
入社してまだ1年経っていない川本が転職したところで、すぐに次の仕事が、しかも今の仕事と同じくらいの給料がもらえる仕事が決まる可能性は低い。
そんな事情を誰にも相談できずにいた。
日に日に自分の体からエネルギーが漏れ出ていき、代わりに疲労が蓄積されていく。
肩はバキバキ、腰はパンパン、股はチ●チ●。
川本の心身は限界を迎えつつあった。
ーーーーーーーーーー
この日、川本が仕事を終えたのは23時15分頃。これでもいつもより早い方だ。
会社のビルを出て、最寄駅へと歩く。
道中、いつも通るアーケード街。シャッターが閉まったあるお店の前に、小さな机を構え、椅子に腰掛けてる老婆が目に入った。
棺桶に片足を突っ込んでいそうなくらい年のいった老婆。
紫色の薄い布を頭から被り、いかにも占い師といった風貌だ。
机には「100%当たる手相占い 10分1000円」と汚い字で書かれた垂れ幕が付いている。
今まで何度も通った道だが、こんな占い師は見た覚えがない。
少し怪しげではあったが、川本は「これも何かの巡り合わせかもしれない」と考え、老婆の手相占いを受けてみることにした。
これまでの自分だったら、占いにすがることなんてなかっただろう。
しかし現在の川本は、道端にいる誰とも知らぬ占い師でもいいから自分の悩みを吐露し、今後どうすればいいのかアドバイスをしてもらいたいくらい、追い詰められていたのだ。
川本「占い、お願いできますか?」
老婆「ええ、もちろんです。お座りください」
川本は、老婆と向かい合うように置かれた折りたたみ式の椅子に座った。
川本「100%当たるって書いてますけど、本当ですか?」
老婆「もちろんです。その証拠として手始めに……あなたは今、悩みを抱えてらっしゃる……合ってますね?」
川本「……ええ、だから占いをお願いしてるんですけど」
老婆に若干の胡散臭さを感じつつも、10分1000円の占いなんてこの程度のものだろうと、思い直した川本。
もちろん川本の悩みをドンピシャで解決してくれるなら御の字だが、今の川本にとって重要なのは、悩みを誰かに打ち明け、もう少し今の仕事が頑張れるよう背中を押してもらうこと。
老婆と会話をするためにお金を払うのであり、占いはオマケに過ぎないのだ。
老婆「では始めましょう。左手を出してください」
手相占いを受けるのは、川本にとって初めての経験だった。
テレビで見たことはあったが、いざ自分が占いを受ける立場になると、妙に緊張する。
恐る恐る左の手のひらを老婆に差し出した。
老婆は右手で川本の手首をつかみ、手のシワをまじまじと見つめた。
老婆「なるほど……あなたは今、恋愛の悩みを抱えている。そうですね?」
川本は目を丸くし、老婆の顔を見つめた。
まるで違う。大外れだ。
今の川本に、恋愛に関する悩みは全くない。彼女との関係はすこぶる良好。
悩んでいるのは仕事についてだ。
川本「……いえ、恋愛については別に……」
ビチチッ!!!
川本の左の手に、針で何度も刺されたような激痛が走った。
視線を老婆の顔から左手に移す川本。
しかし左手に異変はない。
老婆「もう一度言いますよ。あなたは恋愛の悩みをお抱えだ……そうですね?」
川本「いやだから違う」
ビチチチチチチッ!!!
また左手に激痛が走った。しかも、さっきより痛みがやや長く続いた。
もう一度自身の左手を見る川本。
老婆が手首をつかんでいる以外に変わったところはない。
だがなぜか激痛が走る。川本はその原因を探るため、視線を左手以外の場所へキョロキョロと動かした。
痛みの原因が分かった。
老婆の左手に、スタンガンが握られていた。
老婆「改めて言いますよ。あなたは恋愛についてお悩みだ」
川本「だから!違いますって!」
老婆は川本の左手にスタンガンを当てる。
ビチチチチチチッ!!!
川本「ぐあぁぁっ!はいそうです恋愛……恋愛について悩んでます!!」
痛みに耐えかね、老婆の質問にYesと返答してしまった川本。
老婆「そうでしょうね。手相に出てますから……なるほどなるほど。あなた、職場に意中の異性がいて、その人と付き合いたいと思っている。そうでしょう?」
川本「いや、ボクには学生時代から付き合っている彼女がいまして」
ビチチチチチチッ!!!
川本「ぐぎぃぃぃっ!はい気になっている人が……社内に……」
老婆「そうでしょう……全て手相が物語っています。なかなかおしゃべりな手相だ」
川本「ちょ、ちょっと待ってください!なんでスタンガン当ててくるんですか?」
老婆「はぁ?」
川本「護身用にスタンガンを持ってるのなら分かりますよ!路上で商売してると危ないこともあるでしょうから!でも客に向けて使うってどういうことですか!?」
老婆「……まぁでも、占いは今のところ100%当たってるわけですし、いいじゃないですか」
川本「いやスタンガンで痛みを与えて!脅して!発言を強制しているだけでしょ!」
ビチチチチチチッ!!!
川本「げぇぁぁぁっ!もうやめてください!こんなの占いじゃない!」
立ち上がる川本。
しかし老婆は川本の左手首を放さない。
振り解こうとする川本だが、凄まじい力で引っ張られる。
川本「なんだこのパワー?!ボクが残業で疲れているのとは関係なく強い!」
老婆「こう見えて私、若い頃にアームレスリングの世界大会を4連覇しましてね。今は衰えましたが、それでも若造一人押さえ込むのなんて造作もないことです」
川本「クソッ!ババアのどこにこんな力が!?元ソフトテニス部主将のボクが力負けするなんて!」
ビチチチチチチッ!!!
川本「おぐわぁぁぁっ!!」
老婆のパワーとスタンガンのコンボで、椅子に引きずり戻された川本。
川本「はぁ……はぁ……はぁ……」
ビチチチチチチッ!!!
川本「もぐわっしゃぁぁぁっ!いま占いと関係なくスタンガン当てたでしょ!?」
老婆「……左肩を回してみなさい」
老婆はそう言うと、川本の左手首を放した。
言われた通り、左肩を回す川本。
川本「軽い……?ずっしり重かった肩が軽い!まさか……肩こりが無くなっているぅ?!」
老婆「あなたの肩は疲労で限界を迎えていました。電気治療が必要なほどに……」
川本「おばあさん……もしかしてボクの肩こりを見抜いてスタンガンを……?」
老婆「お兄さん、私はね、占いの本質は運命を見通すことじゃないと考えているんですよ。大切なのは、その人の悩みを解決すること。悩みを見抜き、その根本を正すこと。人間の心の悩みは体と連動していることが多い。特にお兄さんはそれが顕著に現れていた。うつむくようにして歩く姿を見て、すぐにわかりましたよ。肩が凝ってるのだと」
川本「おばあさん……」
老婆「正直、お兄さんが何に悩んでいるのかは分かっていないけど、その体に溜まった疲労を何とかできれば、悩みも解消するはずです」
川本「おばあさん……!!もっとお願いします!そのスタンガンで、もっとボクに電気を流してください!」
それから終電まで老婆のスタンガン占いを受け続けた川本。
体に溜まっていた疲労は、すっかりどこかへ飛んでいった。
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体が回復したおかげで、翌日から仕事をサクサク進められるようになり、残業時間は徐々に減少。営業成績も上がり、上司から褒められることが増えた。
彼女とは籍を入れ、子供も無事産まれた。仕事もプライベートも順調そのもの。
以来、川本は仕事の疲れを感じるたびに、アーケード街で店を構える老婆のスタンガン占いを受けている。
<完>