テニスの団体戦は7人が出場します。ダブルス1・2で4人。シングルス1・2・3で3人です。
『テニスの王子様』の青学は、この7人と補欠のメンバー1人の計8人を校内ランキング戦で選出し、レギュラーと呼んでいます。
青学でレギュラー経験がある選手とそれ以外の選手との実力差は大きく、かつてレギュラーだった選手がその後もレギュラーを継続するような流れができています。
ただ、もちろんこの流れは絶対的なものではありません。作中ではリョーマが入学したことで、かつて青学No.3といわれた乾くんがレギュラー落ちしています。
リョーマのように、レギュラーではない選手がランキング戦で奮闘し、レギュラーを奪うこともあるのです。
そして、リョーマの裏で密かに新レギュラーとなっていたのが、タカさんこと河村隆くん。
レギュラーが決まった直後のシーンで、タカさんはレギュラージャージを着ていません。
また関東大会の六角戦で、竜崎先生が「3年になって初めてレギュラーになった河村」と言及していますので、タカさんはリョーマが入学し、3年生になったタイミングでレギュラーになったのが確定しています。
ここで気になるのが、タカさんがレギュラーになる前は誰がレギュラーだったのかという点。
作中での控え選手に、タカさんの代わりにレギュラーを張れるようなメンツはいません。
今回はタカさんがレギュラーになる前に青学レギュラーだったのは誰かを考察します。
タカさんがレギュラーになる前の状況
まずはタカさんがレギュラーになる前の状況を整理します。
タカさんが3年生で初レギュラーになる前にレギュラーだったのが、以下のメンツ。
- 手塚くん
- 不二くん
- 乾くん
- 大石くん
- 菊丸くん
- 海堂くん
- 桃ちゃん
この7名はレギュラージャージを着ていたので、確定です。
その後、乾くんの代わりにリョーマがレギュラーになり乾くんはレギュラー落ち。さらにタカさんが加わり、
- 手塚くん
- 不二くん
- リョーマ
- 大石くん
- 菊丸くん
- 海堂くん
- 桃ちゃん
- タカさん
の8人がレギュラーに決定。都大会までこのメンバーで団体戦を回すことになりました。
青学のレギュラー枠が7人+補欠1人の8人なら、タカさんが加入する前の7人に、プラスもう1人レギュラーがいたはず。
しかし、そのような選手がいたことは作中で言及されておらず、青学レギュラーになれそうな選手も登場していません。
タカさんの前に青学レギュラーだったのは誰か?
では本題に入りましょう。
タカさんがレギュラーになる前、レギュラーを務めていた8番目の選手は誰だったのでしょうか?
様々な可能性がありますが、私は次の3つの説を推したいと思います。
タカさんの代が3年生になる前に引退した幻の同期がいる?
まずは「タカさんの代が3年生になる前に引退した幻の同期がいる」説。
タカさんや手塚くんが3年生になる直前に引退(退部)した同期がいて、その同期がレギュラーだった可能性です。
運動部の場合、3年生は夏の大会を最後に引退し、その後は受験勉強に励むのが一般的。
しかし、夏の大会というのは引退の最終ラインであり、それ以前に辞めるのも本人の自由。
例えば、偏差値の高い高校を受験するため、勉強時間を確保するべく早めに部活を引退する人もいます。
青学は中学から大学まで一貫のため、外部受験する人は少数かと思いますが、ゼロではありません。
実際に大石くんは将来医者になるべく、青学の高等部ではなく外部の高校を受験しようとしています。
大石くんは副部長という立場もあったし、1年生のときに手塚くんや英二くんと交わした約束もあったため夏の大会まで部活を続けました。が、大石くんのような立場にない部員なら、受験のため早々に引退していても不思議ではありません。
この幻の同期がずっとレギュラーの一角を担っていたものの、3年になる前に引退し、空いた枠にタカさんが入った。この可能性はかなり高いのではないかと思われます。
1年前の3年生が引退せずレギュラーをやっていた?
2つ目の可能性としては、「タカさんの1つ上の3年生が、卒業直前まで青学テニス部に居座り、レギュラーをやっていた」説。
先述のとおり、青学は中高大一貫のため、受験勉強をしなくてもエスカレーター式に内部進学できます。
そうなれば、部活を引退せずに卒業まで続けようと考える生徒も出てくるのではないでしょうか。
手塚くんたちの代は「3年の夏で引退」という意識を全員が持っていたようですが、『新テニスの王子様』では3年の冬になってもレギュラージャージを着て、何やかんや青学のレギュラーとしてU-17日本代表合宿に参加していました。
U-17日本代表合宿に中学生が参加するのはイレギュラーなイベントだったとはいえ、『テニスの王子様』の世界では、3年の夏を過ぎてもレギュラーとして試合に出られるような、何らかの事態が発生することは珍しくないのかも……?
1年前も同じようなイレギュラーケースがあり、タカさんの1つ上の3年生が卒業ギリギリまでレギュラーを担っていた可能性が微レ存。
レギュラーが8人になったのはタカさんの代が3年生になってから?
3つ目の可能性は「レギュラー枠が8人になったのはタカさんの代が3年生になってから」説。
8人目のレギュラーがいたのではなく、そもそもレギュラーの枠が7人だったのを増加した可能性ですね。
青学は選手が怪我などで出場できなくなるケースを考慮し、補欠選手を必ず1人決めています。
しかし他校を見ると、レギュラーは試合に出られる7人ピッタリにしている学校もあるのです。
例えば、青学のライバル校・氷帝学園。関東大会での氷帝正レギュラーは7人で、補欠だった日吉くんは準レギュラーでした。
その後、全国でちゃっかり正レギュラー面している日吉くんですが、それまで氷帝は正レギュラーに補欠選手を含めていなかったと思われます。
青学も同じくレギュラーの枠は元々7人で、もし欠員が出た際は、その場で対応できそうな補欠選手を突発的に選び出場させていたのではないでしょうか。
その後、青学は部長の手塚くんが腕の怪我で無理をできない状況になり、控えの選手が試合に出る機会も増えるだろうと踏み、控え選手がいつでも試合に臨めるようレギュラーと同じ練習をさせるべく8人にした。この説もあり得そうです。
早期引退した幻の8人目(エイトマン)説が濃厚か?
どの説も考えられそうですが、個人的に濃厚だと思うのは1つ目の「早期引退した幻の8人目(エイトマン)」がいた説ですかね。
2つ目、3つ目の説は、中学校の部活動や青学のレギュラーというシステムそのものが変わらなければ実現しない異例のケース。発生する可能性としてはかなり低いと思います。
その点1つ目の説は割と現実的で、タカさんがレギュラーでなかった状況とも矛盾しません。
もしあと1人、レギュラーを張れる選手がいて、その選手が3年生になっても部活に残ってたとしたら、青学はかなり選手層が厚いですね。手塚くんたちの代は豊作だったといえます。